Fools Day 上


 

 
『Fools Day』
 
1 sideB
 
 四月馬鹿というのは、あいつの為の言葉だったのか。
 
 マリネラのつぶれアンマンの誕生日を初めて知った時、わたしは自分でも驚く程に納得がいった。
奴の生まれた日にこれほどふさわしい日付があるだろうか。
どうせなら、午前中の生まれで、出生それ自体が、エイプリル・フールの嘘になれば良かったのに。そうすれば、世界はもっと平和で、環境汚染も紛争問題もない美しく住みよい場所になったはずだ。地球上で起きている問題の八割方は、奴のせいではないかと思う。少なくとも、わたしの人生に降りかかる災難の九割は、あのバカに原因があるはずだ。
ぜひ一度、パタリロの生まれた時間を、信じがたいことにあいつの生母であるというエトランジュに確かめてみたいと思いはするものの、未だ機会は訪れていない。
 
 ロンドンにもようやく春が近づいてきたのだろう。きりりと張り詰めるように冷えていた空気が、少しずつ緩み始めたのを感じる。
深夜の帰路も、今夜は苦にならない。
関わっていた事件がやっと一段落ついたせいもあるだろうが、昨夜よりマンションの階段を上るわたしの足は軽かった。
 
 もう日付は変わろうとしている。
 フィガロは無論だが、もしかするとマライヒも、既に眠りについているかも知れない。今夜は一度も家に連絡を入れる間がなかった。時間が時間だけにあの子が、もう今夜はわたしの帰りが無いものと思っても、おかしくはない。
 まあ、それでもいい。
 二人の寝顔を見て、シャワーを浴びてからコニャックの一杯でも飲めば、気がほぐれてよく眠れるだろう。
 
 ポケットから鍵を取り出し鍵穴へ差し込む。ドアノブの冷たさが、革手袋を通して染み入るように伝わってこない事にも、春の近さを感じる。
「あ、おかえりなさい」
 眠った子たちを起こすまいと、極力静かに部屋へ入ったわたしを、やわらかな声と笑顔が迎えた。
「起きていたのか」
「うん」
 キッチンから居間へ出てきてわたしの脱いだ上着を受け取りながら頷いた子からは、やはり春の花のような香りがした。
「おつかれさま」
「ああ」
 腕を絡め、身をすり寄せて来たマライヒを軽く抱きしめ、口づけを交わす。
深入りするとやめられなくなるのでごく軽くで解いた抱擁に、頬を膨らますことで不満を表したマライヒの頭を、くしゃりと撫でる。またキスをしてしまわないよう、彼のいたキッチンに視線を向ければ、なにやら食材が並べ立ててある。
「こんな時間に料理か?」
 見ればマライヒは、バスルームも未だ使っていないのだろう。白いブラウスに黒いリボンタイ、ショートパンツというおそらく昼間のままだろう姿でいた。
普段ならとうにガウンで寛いでいる時間だ。まさか今から来客でもあるというのか。
「ちがうんだよ」
 魔法のように取り出したガウンを渡してきつつ答えたマライヒは、今度は苦笑を浮かべている。困ったように眉間に寄せた皺が珍しくて、ついそこへ指を伸ばすと華奢な指を絡めてきた。
「フィガロを寝かせた後に、電話があってね」
「電話?」
「うん、パタリロから」
 今度はわたしの眉間に皺が寄ったのだろう。くすくすと可愛らしい声を立てながら、細い指でそこを撫でにきた。
「明日、あの子の誕生日でしょう?それでね、M16の薄給じゃ大したものはプレゼントできないだろうから、何か料理作って持ってこいっていうんだよ。タマネギたちにも同じように料理を用意させて、持ち寄りパーティーを開くんだってさ。失礼だよねえ、薄給なんて。その上自分からプレゼントを要求するんだよ。もうスーパーも開いてない時間になって。断ってやれば良いんだろうけど、それはそれで後々までしつこそうでしょ」
 頭から湯気を立てんばかりに憤慨している様が、怒りに狂った小さな野生動物のようで愛らしい。そう思ったら頬がゆるんだのか、
「笑わないでよ」
と、わたしの顔をじっと見つめていたマライヒが先程よりも大きく頬をふくらませた。しかし、パタリロへの不満は収まらないのだろう。だからね、と言葉を次ぐ。
「家にあるもので、何か作れないかなあと思って調べてたの。わざわざあのバカのために朝から買い物に出掛けるのも嫌だし」
 なるほど。それでキッチンがあんな状態な訳か。
「作れそうなものでもあったのか」
 料理の材料など全く判別が付かないので、並べ立てられた品々を見てもそこから何か献立が出来るのか出来ないのか、見当もつかない。
「パスタの買い置きと挽肉の冷凍があるから、ミートボールスパゲティにでもするよ。パタリロの好物だし」
「あいつに好物なぞあったのか」
「え?」
 いつの間にかわたしの上着をしまい、食材の片付けにかかっていたマライヒが振り返る。ふわりと揺れる巻き毛の柔らかさを、左手が思い出す。
「あいつは質より量で、腹に入れば何だっていいんじゃなかったのか」
 手袋を外しつつ返事を返すが、もうわたしはパタリロのことなどほとんど考えていない。
「まあ、そうなんだけど。でも、ミートボールスパゲティは好きみたいだよ。ここに来るとよく作って欲しがるから」
「去年の大福のくせに、生意気な話だな」
 手際よく片付けを終えて持ってきたマライヒの前髪を書き上げながら鼻で笑うと、その手に白く柔らかな頬がすり寄せられる。わたしの手に、半分ほどの大きさしかない自分の手を重ねてそっと瞳を閉じた彼を、腕の中に隠すように引き寄せる。
「バンコラン・・・」
「言うな」
「え」
「もう日付が変わっている」
 愚か者の日は、始まった。
 この子の愛まで嘘になってしまっては堪らない。
 今にも思いをあふれさせてしまいそうな唇を、自分のそれでふさいだ。 
 
 
 
2 sideM
 
 普段はむっつりとした顔で小難しい政治用語を並べ立てるニュースキャスターも、今日ばかりはほころんだ顔でジョークニュースを読む。新聞各紙も、ここぞとばかりに架空の記事を載せて、誰の嘘が一番気が利いているかを競い合う。昨今では、ウエブサイトにジョークコンテンツを公開する大手企業も増えてきた。まるで、イギリス中の大人が、子供に戻ったみたいな一日。
 4月1日、エイプリルフール。
 今日ばかりは、誰も彼もが揃って大ほらふきになる。出来るだけ大きく巧妙で人驚かせる、そして幸福な嘘を誰が一番上手につけるか。一年に一日だけのゲームを、楽しんでいるのだ。
 
 ぼくが最後についた4月1日の嘘は、何だっただろう。
 まだ、両親と暮らしていたころだったか。それとも、寄宿学校に放り込まれてからだったか。伯爵に拾われた後は、そんな暇も余裕もなかった。そもそも、カレンダーを見ることすら、あまりなかった気がする。今日は昨日の続きで、今日を生き延びることが出来れば、明日が来る。そんな短いスパンでしか、自分の日々を捉えられなかった。
 バンコランに出会って、彼の隣で時間を過ごすようになってから、少しずつ時間の感覚が伸びて、季節の移ろいや年中行事を楽しめるようになってきた気がする。それでもまだ、来年のエイプリルフールに自分がどうしているかを考えるのは、ちょっと怖いけれど。
 
 フィガロは朝から、テレビのジョークニュースに夢中だ。
 キャスターの言っていることがわかるのか、真剣な顔で聞き入っては、時折きゃらきゃらと笑っている。隣に座って暫く一緒に見てみたけれど、さほど面白くも思えなかったので、ぼくは先に家事を片付けることにした。ソファーから立ち上がったぼくを見上げたフィガロに、
「ママはお家の仕事をしてくるよ。良い子にしててね」
と、言い置いてまあるい頭を撫でる。
「プ!」
 良いお返事をして、フィガロはテレビに視線を戻した。
 どうしてそんなにも熱心なんだろう。
 聡い子だから、自分が人生最初に言う4月1日の嘘でも考えているのだろうか。まさかね。
 
 シーツの洗濯と寝室の掃除を終えてフィガロの様子を見に居間へ戻ると、電話が鳴った。時間を見れば、午前10時過ぎ。一体誰からだろう。
「もしもし?」
 訝しみつつ電話に出ると、
「一体いつまで待たせるつもりだーーーーーー!!!」
「わ!!」
いきなり響いた大音量に、思わず腕をいっぱいいっぱい伸ばして受話器を耳から離した。それでもなお、鼓膜を震わせる大声が聞こえてくる。
「何時だと思ってるんだ!!とっくに朝食の時間は過ぎたんだぞ!!!」
 もはや、名乗りを待つまでもなく電話を寄越したのだパタリロだと分かった。まだ何か怒鳴り続けているけれど、うるさくて仕方がないので受話器にクッションをかぶせて上から座る。
 まだ10時過ぎだというのに一体何を言っているんだろう。まさか、持ち寄りパーティーとやらを朝食の時間から始めるつもりだったのだろうか。なんて迷惑な話だ。
 5分ほど待ってようやく静かになったので、クッションをどけて受話器を耳に当てる。思う存分叫んで気が済んだのか、はたまた息が切れたのか、ぜいぜいと荒い呼吸音だけが聞こえた。
「パタリロ?」
「な・・・んだ・・・・」
「大丈夫かい?持ち寄りパーティーって朝からだったの?まだ何も用意してないから、午後からしか行かれないよ」
「何だと!?」
「だってランチタイムからだと思ってたから」
「誰もそんなこと言っとらんわ!!」
 と、また大声。何だってこの子は、こんなにも元気なんだろう。
「タマネギたちからも、どうせ何かもらったんだろう?それでも食べて待ってなよ」
「そんなもん、もうとっくに食べてしまったわ!!」
「えー?」
 一体何時からタマネギたちは料理を作らされたのだろう。不憫なことこの上ない.。
「これだけ待たせた上に電話代までかけさせたんだ!!一品じゃ足りんぞ!!もう一品追加して作って持ってこーい!!」
「無茶言わないでよ、材料無いって」
「フィガロにでも買いに行かせろ!!」
「まだお使いなんて出来ないよ」
「M16に電話しろ!!」
「何で仕事で忙しいバンコランに買い物なんて頼めるのさ。とにかく!!お昼頃にしか行けないからね!!それまで水でも飲んで大人しくしてて!!」
 パタリロの返事は聞かずに通話を切って、もう一度クッションをかぶせた。
 なんて勝手な子だろう。いや、自由と言うべきか。
 そもそも、一応は国家元首なのに、誕生日に国にいなくて良いんだろうか。公式行事とか、国民へ向けての会見とか、何かやるべき事があるだろうに。
まあ、臣下からも国民からも、敬愛されているとはとても思えないけれど。
 
 しばらく迷ったけれど、家事は一段落したし、またせっつかれても面倒なので、料理に取りかかることにした。
 持ち寄りパーティーとは言え、きっとパタリロ一人で全部食べてしまうのだろうから、フィガロとぼくの分のサンドイッチか何かも作っていって。そう言えば、パンは買い置きがあったはずだ。もう一品作ってこいと言われたけれど、後は缶詰のフルーツぐらいしかない。
 とりあえず、ミートボールの準備をとタマネギを刻んでいると、また電話が鳴る。パタリロだと鼓膜が破れかねないので、おそるおそる受話器をクッションの下から出して、通話ボタンを押す。怒鳴り声が聞こえてこないのを確認して、耳に当てた。
「・・・もしもし?」
「ああ、いたか。わたしだ」
「バンコラン? どうしたの、こんな時間に」
 何か大きな事件でもあって、急遽外国へ行くとになったのか。それども、怪我でも負ったのか。さっと、声と顔が強ばるのを自分でも感じる。それが伝わったのだろう。バンコランの声が少し優しくなった。きっと彼は今、苦笑を浮かべている。端正な顔が僅かに解ける様が、脳裏に浮かんだ。
「大使館へ行くのは午後からにしろ」
「え?」
「エイプリルフールの嘘は午前のうちだけだ。マリネラ最大の害虫がまたおかしなことを言い出さんとも限らん。十二時を回るまでは家にいろ」
 なるほど、イギリスでは嘘をついて良いのは正午までとされている。パタリロが律儀にそれを守る保証はないけれど、難を逃れられそうな対策は、取っておくにこしたことはない。急いで料理をすれば、十一時半頃には行けるけど、ぼくはバンコランの言葉に従うことにした。
「わかった、そうする。ありがとう」
 まだ午前だから、愛してるは言わない。
 昨夜も結局、一度も言えなかった。ずっと彼が、キスで唇をふさいでいたから。
「今夜は早く帰れそう?」
 彼からの睦言が聞きたくて、でも今は聞けないのが分かっていたので問うてみる。
「そうだな。何もなければ」
 また連絡するから携帯を忘れず持っていけ、と言い置いてバンコランは電話を切った。
 受話器に向かってキスをしたかったけれど、我慢した。
 愛が、泡のように消えてしまっては困るから。
 嘘がとても儚いことを、ぼくはよく知っている。
 
 
 
3 sideM
 
「さてと、どうしたものかな。ねえ、フィガロ?」
 さすがにジョークニュースにも飽きたのか、キッチンに立つぼくの隣に椅子を置いて料理の様子を眺めていたフィガロに問う。ふむふむと腕を組んで眉間に皺を寄せて考え込んでいる様は本当に愛らしいけれど、答えが返ってくるとは思えないので、自分で考えてみる。
 出来上がったのは、大きなお皿たっぷりのミートボールスパゲティに、ピクニックバスケット一杯のサンドイッチ(これは、ぼくとフィガロ、それに大使館のタマネギたちの分。きっと彼らは食べ物を全てパタリロに取られて泣いている)、そしてボウル一杯のフルーツパンチ。
 結構な量になってしまったこれらを、どうやって運んだものだろうか。
 大使館までそう距離は無いものの、フィガロを連れてだと歩いて行くのは厳しい。
「かといって、タクシーを拾うのもなあ」
 あのパタリロの為にタクシー代を払うのも、ばかばかしい。
 時計はもうすぐ、十二時を指す。あの子のことだ。午後を一分でもまわればすぐさま電話を寄越すだろう。かといって、ここへあのつぶれアンマンを呼んできて食べさせたところで、さあ持ち寄りの品を持って会場へ行こうと言われるのがオチだ。
そんなことを言われても困る。
めぼしい食材は使い果たしてしまったのだから。
 
「マーマ?」
「なあに?」
 見遣ると、フィガロはリビングから持ってきたらしい受話器を手にしている。今日はよくよく電話に縁のある日だ。
「プ」
 受話器をぼくに押しつけてくるフィガロから、とりあえず受け取る。
 と、フィガロはピッピとボタンを押した。
「え、フィガロ? 悪戯しちゃダメだよ」
「プウ!!」
 そんなことしないよ!! と言ったように聞こえた。
 耳に当てろと仕草でいうので、とりあえず受話器を顔へ近づけると、コール音が聞こえてくる。
「これ、どこにかけてるの?」
「プウ!! プププー!!!」
 受話器を耳から離すと怒られたので、とりあえずコール音を聞き続ける。なかなか出ないのは、留守だから? 切ろうかと視線をフィガロにやると、だめだめといわんばかりに首をぶんぶん振っている。
「・・・も、しもし・・・、マリネラ大使館です・・・」
 ようやく電話に出たのは、疲れ切ったタマネギらしい声。
「あ、えっと・・・、マライヒ、です」
 先方のあまりにも弱々しい様子に、言葉が詰まってしまう。
「マ、マライヒさんですか!! 早く!! 早く来て下さい・・・!!」
 案の定、パタリロに随分酷い目に会わされているらしい。
「行ってあげたいところなんだけど、荷物が多くてさ」
「荷物、ですか?」
「料理が結構な量になっちゃったから、一人では運べなさそうで。フィガロもいるし」
「直ぐにお迎えに上がります!!」
 ガチャン、と電話の切れた音が耳に響く。そう言えば大使館の電話機は未だにダイヤル式のものだった。ツーツーという音が鳴る受話器を手にフィガロに視線を向けると、満面の笑みを浮かべ頷いている。こうなることが分かっていたんだろうか。不思議な子だ。
 
 とりあえずぼくは、タマネギが来るまでに外出の用意をすることにした。
 
 
 
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